望みを得ることが長びくときは、心を悩ます、願いがかなうときは、命の木を得たようだ。
今は過去よりも良い人生を生きていると言うけれど、多くの人が目的なしに生きています。
また、目的を持って生きて行く人も、自分が願う希望、願い、願望を叶えても、人生は虚しいと言います。
これは、自分の人生の目的だからそうです。
もちろんこれも実現しなければならないけれど、人として生まれたから究極的な目的を遂げてこそ、満足し、喜びになります。
この目的を成してこそ、一日を生きても嬉しく、甲斐があります。
究極の目的とは、神様が天地と人間を創造した目的として、永遠の愛を成すことです。
この目的を成して生きてこそ、虚しくないです。
人間なら、この目的を成し遂げるために挑戦し、この目的に該当するよう理想的に生きなければなりません。
人生が無意味だというのは、目的を成し遂げた生がぼやけているからそうです。
目的に対する執念が強いとき、翻る人生を生きていくから、みんな目的を見つけて成し、聖三位を愛し、自分の分を果たすことを祝福します。